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全国指名手配犯

警察庁指定重要指名手配犯

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連続企業爆破事件
指名手配犯
桐島 聡(きりしま さとし)

罪名:爆発物取締罰則違反
生年月日:昭和29年1月9日
出身地:広島県
身長:160cm程度
特徴:強度の近視で度の強い眼鏡等を使用、眼鏡を取るとギョロ目、 口唇厚くやや大きい、 右足を引きずる癖がある

東アジア反日武装戦線のメンバーの中で一度も逮捕されなかった唯一のメンバー

東アジア反日武装戦線とは、1970年代に三菱重工爆破事件など連続企業爆破事件等の爆弾による武装闘争を実行した日本の武闘派左翼テロリストグループ。反日アナキズム思想を持つ「極左暴力集団」と当初から見なされていた。「狼」「大地の牙」「さそり」の3チームに分かれて活動を行っており、桐島はさそり班に所属していた。この班名は、「自らの小さな組織の猛毒で大きな建設資本を倒すさそり」になぞらえたものである。

連続企業爆破事件は、東アジア反日武装戦線が旧財閥系企業、大手ゼネコン社屋・施設などに爆弾を設置し爆破した事件。1974年8月から1975年5月にかけて、東アジア反日武装戦線は日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。

中でも1974年8月30日に発生した千代田区丸の内の三菱重工ビルが爆破された事件(三菱重工爆破事件)では、8名が死亡、385名が負傷するという大惨事となった。桐島は参加していないが、この事件をきっかけに活動に参加するようになった。

1975年5月19日に東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人(大道寺将司、大道寺あや子、浴田由紀子、佐々木規夫、齋藤和、益永利明、黒川芳正)が逮捕されたのを契機に他のメンバーも逃亡。直後にメンバーの1人が所持をしていた桐島の家の鍵からまだ警察が把握していなかった桐島の存在が判明し、桐島は警察に全国指名手配された。現在も行方はわかっておらず、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で唯一逮捕されていない。

起訴後に国外逃亡した、「狼」班の大道寺あや子と共犯の事件(間組本社・工場同時爆破事件)に関しては共犯者の公判中という形で公訴時効が停止しているが、大道寺あや子と共犯ではない事件に関してはすでに公訴時効が成立している。

桐島は広島県出身。広島県立尾道北高校を卒業後に上京し、1972年に明治学院大医学法学部に進学。高校時代から全共闘の思想に共感し、大学在学中に左翼活動家の黒川芳正や宇賀神寿一(両名とも後に逮捕)と出会う。その後東アジア反日武装戦線に参加し、武力闘争・テロ行為を行うようになった。

<桐島聡が関与した爆破事件>
【鹿島建設爆破事件】
1974年12月23日午前3時10分、東京都江東区の鹿島建設のKPH(鹿島式プレハブハウス)工場の資材置場が爆破された。資材置場は半壊したが、死傷者は出なかった。日雇い労働者を搾取するゼネコンを攻撃するのが目的で、過去に中国から秋田の鹿島建設(当時の鹿島組)花岡出張所に強制連行された中国人労働者986人が、過酷な労働や虐待による死者の続出に耐えかね、一斉蜂起、逃亡した「花岡事件」を起こしていたことから攻撃目標となった。

【間組本社・工場同時爆破事件】
1975年2月28日、東京都港区にある間組本社と埼玉県与野市(現さいたま市中央区)にある間組大宮工場が爆破された。残業の社員や消防士など5人が負傷した。さらに本社のコンピュータにあった重要データを爆破し、間組には大きな打撃を与えた。

【オリエンタルメタル社・韓産研爆破事件】
1975年4月19日午前1時、兵庫県尼崎市の中小企業・オリエンタルメタル製造本社と東京都中央区銀座にある韓国産業経済研究所を同時に爆破した。真夜中であったため、いずれの会社も無人で負傷者はなかった。オリエンタルメタル社の社長が韓国産業経済研究所の主催する訪韓団の団長になったという記事が日刊工業新聞に掲載されたことがきっかけとなり、爆破の標的となった。

【間組作業現場爆破事件】
1975年4月28日、千葉県市川市の間組江戸川作業所と工事現場を爆破しようとした。作業所の方は爆発して当直の間組社員に重傷を負わせたが、工事現場の方は不発だった。そのため、不発の爆弾をそのままにし、横に新たな爆弾を取り付け誘爆させることにし、5月4日に決行した。死傷者はなし。 過激派の秘密部隊は他人や架空の人物名を使って入居し、付近住民から不審がられないよう細心の注意を払って生活しているが、秘密アジトには以下のような特徴があるという。

・単身又は夫婦だけのはずなのに、多数の人が出入りしている。
・昼間でもカーテンを閉めて、部屋の中が見えないようにしている。
・部屋の出入りの際、周囲を異常に気にしている。
・早朝・深夜など人目が無くなってから外出している。
・空家・空き部屋から音がしたり、明かりが漏れたりしている。
・部屋の中から薬品の臭いや金属音が聞こえる。
・レンタカー等を使って、ひっそりと引っ越しをする。
・ことさら近隣の住民と接しないようにしている。

2024年1月25日、神奈川県鎌倉市の湘南鎌倉総合病院の関係者から、桐島を名乗る男が入院しているとの情報が寄せられたため、警察が身柄を確保した。男は末期の胃がんで以前から通院していたが、1月に路上で倒れて自ら通報、救急搬送され入院していた。この際に近所の住民男性が男を介抱したが、男性によると「普段見かける時も弱々しく、(桐島の)手配写真と比べると3分の2くらいに痩せた人相だった」という。

男は健康保険証や運転免許証等の証明書を所持しておらず、自費診療で治療を受けていた。男は当初「内田洋(ウチダヒロシ)」と名乗っていたが、25日になり突然病院関係者に「自分は桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と話したという。

県警から連絡を受けた公安部は25日に病院に捜査員を派遣し、男から任意で事情聴取。数十年前から神奈川県藤沢市内の工務店に住み込みで働いていたと説明したため、捜査員が会社に確認をとったところ、実際に長期間勤務していたことが判明した。

男は職場でも内田洋という偽名を使っていたとみられ、会社側は男が桐島の可能性がある人物とは知らなかったという。保険証をはじめとした身分証がないため銀行口座などを開設できず、給料は現金でもらっていた。

公安部では男が事件の関係者しか知り得ない当時の状況などについて話しているおり、身長などの身体的特徴も一致していることから、男が桐島である可能性が高いとみている。しかし桐島の指紋の登録がないため、親族から試料の提供を受け、DNA型鑑定で身元の確認を進める予定。

1月29日朝、男の容体が急変、入院先の病院で死亡した。男は公安部の任意の事情聴取に対して事件について語っていたが、意識が遠のくこともあり、十分に話が聞けなかったという。「韓国産業経済研究所」の爆破事件について否定した一方で、間組本社ビルの爆破事件には関与したという趣旨の話をしていた。

その後、警視庁公安部がDNA型の鑑定結果や関係先への捜査などから、桐島聡本人と断定した。「韓国産業経済研究所」で起きた爆破事件を含むあわせて5つの事件に関与したとして、警視庁は爆発物取締罰則違反の疑いで容疑者死亡のまま書類送検する方針。



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