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西安義行さん失踪事件(1987年3月)

1987年3月15日、無職・西安義行さん(当時21歳)が京都府内のJR綾部駅で友人と別れた後、行方不明となった。

西安さんは兵庫県市島町(現・丹波市)の自宅から、高校時代の友人・石川靖さんと2人で、京都府舞鶴市方面へドライブへ出かけた。海を見た後に食事をした帰り道、西安さんは「列車で帰る」と言って、京都府綾部市のJR山陰本線綾部駅前で車を降りた。

それから1時間後、石川さん宅に、西安さんから「無事着いたか?」と電話があったが、この連絡を最後に西安さんは行方不明となった。当日はいつになく服装を気にしていたという。西安さんは度々舞鶴に出かけることがあった。西安さんが綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線で舞鶴に引き返した可能性が高いとみている。

西安さんの失踪から約2ヶ月後の1987年5月、西安さんの自宅に電話があり、母親の久子さん(当時48歳)が出ると、電話の相手は男性の小さな声で「ボク…学校の横」と話した。久子さんはその電話の声を西安さんだと感じ、とっさに「義行やろ?」と声をかけた。しかし、相手は何も答えず、そこで電話は切れてしまったという。

さらに西安さんの失踪から6年後の1993年3月、再び西安さんの自宅に不審な電話があった。電話に出た久子さんに、相手はたどたどしい女児の声で「歌うから聞いて」と伝えると、「明かりをつけましょぼんぼりに…」と歌い始めた。電話の主に対して久子さんはとっさに、「あんた、義行の子か?」と尋ねたが、答えはなくそのまま電話は切れてしまった。

上記の不可解な2件の電話の他にも、西安さん失踪後に自宅周辺で不審な出来事が頻発している。失踪から約1年後には、西安さんの自宅に、名古屋中央郵便局の消印の差出人不明の葉書が届き、該当者のいない電話番号が記されていた。

失踪事件から10年以上が経過した1998年には、西安さんの自宅を伺う不審な車が目撃され、同時期に地下足袋姿の2人組が、西安さん自宅近所の区長の家を訪問し「西安義行の両親の家はどこか」と尋ねていた事も判明している。この不審な2人組は「西安さんが結婚する相手の近所の者」と名乗ったという。

さらに失踪事件から20年後の2007年11月には、「圭子さん(西安さんの妹)はおられますか」と女の子の声で電話があり、留守を伝えると何も言わずに電話は切れたという。

西安さんは1965年6月27日生まれ。失踪当時は就職活動中で無職だった。身長170センチ、体重70キロ。血液型はA型。近眼のため眼鏡を使用しており、右の鎖骨に中学の頃交通事故で骨折した時の治療痕が残っている。

北朝鮮による拉致の可能性を調査している市民団体「特定失踪者問題調査会」は、西安さん失踪事件の真相は北朝鮮による拉致の可能性が高いとの見解を示している。

<兵庫県警ホームページ>拉致の可能性を排除できない事案に係る方々
<特定失踪者問題調査会ホームページ>西安義行



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