未解決事件ファイル
インド・アグラ慶大生失踪事件(2006年9月) |
2006年9月5日、慶応大学2年・篠崎耕太さん(当時21歳)が滞在先のインド・アグラで行方不明になった。篠崎さんはインドで3週間の滞在を予定しており、9月24日に帰国予定だったが日本に戻ってくることはなく、10月2日には航空券のチケットも失効。出国以来、家族、友人にも全く連絡がない状態だという。
篠崎さんは9月2日夕刻、成田空港よりキャセイパシフィック便(香港経由)でインドへ出国。翌3日にニューデリーから入国し、運転手と共にレンタカーでジャイプールへ向かい、そこで2泊した。2日間とも市内観光をしていたとみられる。9月5日午前8時ごろジャイプールを出発し、午後3時ごろアグラに到着。運転手が手配したガイドと共にタージマハールを見学したが、所持金が少なかったこともあり、土産品店等にも寄らず午後5時過ぎにホテルに到着。その後、バックパックを背負った姿で外出していくのをホテル従業員が目撃しているが、外出後再びホテルには戻ってくることはなかった。
インド警察は10月17日に大使館の届出を受けて捜索を開始した。その結果、篠崎さんがインドに到着直後にニューデリー駅近くで客引きに誘われて高価なツアーを購入していたことが判明した。また、アグラでは「ラパック」と呼ばれるたちの悪い観光客目当ての客引きが多数おり、彼らに声を掛けられて事件・事故に巻き込まれた可能性もあるとみている。
宿の受付は当初、警察に「耕太は荷物を持って1人で外出した」と証言していたが、その後、渡印していた母親や日本人の友人たちに対して「耕太は運転手とガイドと一緒に外出した」と、証言を変えた。それから2年の間、家族らの必死の働きかけにも関わらず、捜査はほとんど進展しなかった。
2008年3月、警察が関係者数名をナルコティックテスト(麻酔剤などをもちいて無意識下にある証言を引き出す捜査方法)にかけたところ、運転手が「あの晩、ガイドと耕太と3人でレストランへ行った。ガイドと耕太がリキシャ(インドの三輪タクシー)に乗って出て行くのを見た」と証言した。
このガイドはナルコティックテストの直前に失踪していたが、2009年2月、アグラから南に120キロほどの古都グワリオールで重要参考人として身柄を拘束された。ガイドも同年7月にナルコティックテストにかけられたが、
運転手と篠崎さんとレストランへ行ったという証言は一切なく、「耕太をホテルに送っていったあと、運転手ともう1人のインド人と3人でお酒を飲んで自宅へ帰った」と証言した。この証言は3年前の事件発覚直後のものとほとんど同じだった。
家族は何度も渡印し、アグラ警察を訪れたりマスメディアに向けて協力を訴えてきたが、現在も篠崎さんの行方はつかめていない。
<篠崎耕太を探す会ホームページ>篠崎耕太を探しています Searching for Kota Shinozaki