未解決事件ファイル
京都主婦首なし殺人事件(1995年4月) |
1995年4月29日、京都府船井郡和知町(現・京丹波町)の小川の岸辺で、山菜取りに来た福知山市在住の男性が横たわっている女性の遺体を発見した。遺体は頭部と両手がなく、切断面から血が流れている様子もなかったため、男性は最初マネキンと見間違えたという。遺体は腐敗もなく、血液を抜いた状態で遺棄したものとみられる。現場は京都駅から山陰本線で1時間程の園部駅からさらに車で1時間程進んだ場所。
その後の警察の調べで、女性の身元は兵庫県三田市にある平島病院の看護師・田中久美子さん(当時44歳)と判明した。田中さんは4月26日午前に家を出たのを最後に、行方不明となっていた。死亡推定時刻は26日の深夜から27日の未明。園部署に捜査本部を設置した京都府警は関係者の証言から、当時、久美子さんと不倫関係にあった泉谷博司(当時45歳)を9月1日に殺人並びに死体遺棄の容疑で逮捕した。
泉谷と久美子さんは事件直前に福山市内のラブホテルに滞在していたことが判明。死亡推定時刻とされた時刻は、泉谷と久美子さんがチェックインした直後の時刻だった。以上の状況から捜査本部は殺人と遺体損壊の犯行現場をラブホテルと推定し、泉谷の逮捕に踏み切った。
泉谷は26日に久美子さんを車から降ろして別れたと話し、事件との関わりを否定したが、泉谷の車から久美子さんと同じAB型の血痕が見つかっていることや、犯行日と思われる26日から3日間会社を休んでいたことなども分かった。
逮捕当初、泉谷は犯行を臭わすような話をしていたが、弁護人が選出されると供述が一変。泉谷の弁護を務めたのは狭山事件の弁護団主任弁護人として有名な山上益朗氏(故人)で、山上弁護士は冤罪を訴え辣腕を振るった。そのまま、勾留期間の期限までに自供や決定的な証拠がなく、処分保留のまま泉谷は釈放。事件は現在も未解決のままとなっている。血液が古かったためDNA鑑定が出来ず、あと一歩で殺人立証の決め手とはならなかった。久美子さんの頭部と両手は未だ発見されていない。
久美子さんは夫、大学生の長男と専門学校に通う次男、高校生の長女、夫の両親と祖母の8人暮らしだった。鳥取県米子市の出身で、定時制の高校に通いながら看護師の資格を取得。高校卒業後、米子市内の病院に勤務した後、兵庫県三田市に住居を移していた。
久美子さんの家族と泉谷の家族とは、家族ぐるみの付き合いだったが、久美子さんと泉谷はやがて不倫の関係になり、その関係は10年以上続いていた。4月26日は駆け落ちする予定で久美子さんが自宅を出て、午前9時に泉谷と待ち合わせた後、泉谷の車で福知山へ向かったとみている。