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未解決事件ファイル

千葉市中国残留孤児2世殺人事件(1991年1月)

1991年1月10日午後6時ごろ、千葉県千葉市内に住む中国残留孤児2世の小学6年生・趙麗娜さん(当時13歳)が行方不明になった。

麗娜さんは10日午後3時30分ごろ、学校から自宅アパートに帰宅。母親に買い物を頼まれ、JR稲毛駅近くのスーパーでりんごなどを購入した後いったん帰宅したが、自宅から徒歩数分の写真店に出かけた。写真店の店員の話によると、午後4時から5時の間に来店したという。

帰宅するとさらに母親に塩を買ってくるように頼まれ、午後5時ごろ写真店隣の食料品店に来店。帰宅後、家族は夕食を食べていたが、麗娜さんは「お腹が空いていない」と言い一緒に食事をせず、玄関近くの3畳の部屋で寝ころんでいたが、いつの間にかいなくなったという。いなくなったことに気が付いた家族が探したが見つからず、10日夜に家族が捜索願を出した。

午後6時ごろ塾帰りの小学生が自宅近くの道路に麗娜さんが立っているのを目撃しており、これが最後の目撃情報となっている。麗娜さんは誰かと待ち合わせをしているように見えたという。

失踪から4日後の14日午後3時40分ごろ、自宅から400メートルの場所にある建設省土木研究所跡地で捜索していた警察官が麗娜さんの遺体を発見した。発見時の服装は白いフード付きのジャンパーに赤いフリル付きスカート姿。行方不明当時と同じ服装で、靴も履いていた。外傷はなく、首をネクタイで絞められて殺されていた。

発見現場の跡地は大人の背丈ほどある雑木で覆われており、高さ2メートルのコンクリートの壁で囲まれていた。遺体は道路から数メートルの場所にうつぶせに倒れていた。壁は一部が金網になっており、さらに金網の中には破れた場所もあり、壁も一部はないなど出入りは容易だった。跡地の前の道路は人通りが多かった。

解剖の結果、麗娜さんが殺害されたのは食事をして数時間後だったことが分かった。このことから、麗娜さんは外で誰かと食事をしており、顔見知りによる犯行の可能性も考えられた。麗娜さんは1990年3月に父親(当時36歳)ら家族4人で来日したが、まだ日本語が十分ではなかったという。 2006年1月10日、時効成立。



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