未解決事件ファイル
茨城元美容師殺人事件(1993年1月) |
1993年1月13日午後4時ごろ、茨城県新治郡八郷町(現・石岡市)柴内にある「朝日峠」近くの林道脇で女性の遺体が発見された。第一発見者は筑波山に遊びに来ていた会社員で、車で峠道を下っていたところ右斜面に全裸の女性が仰向けに倒れていたという。
発見された遺体の胸や首に多数の刺し傷があり、石岡署と県警捜査一課は殺人事件として捜査本部を設置。捜査員150人を動員して周辺での聞き込みを行う一方、女性の身元の割り出しのため似顔絵を作成して公開した。女性は身長159㎝、体重45㎏。血液型B型、足のサイズ21㎝。右下腹部に盲腸の手術痕があり、上の前歯2本が差し歯だった。差し歯は3年以上経過しており、歯並びから年齢は20歳代前半と推定された。
遺体は着衣がないにもかかわらず、複数の装飾品を身に着けていた。首には長さ40㎝、51㎝の2本のネックレス。左耳には直径3㎝のイヤリング。右手中指には葉っぱが重なり合うようなモチーフの18金リング、右手薬指には8角形で4本の斜線が入ったシルバーリングがはめられていた。
捜査本部は解剖結果と合わせ、死亡推定時刻は12日午前10時半から午後4時の間とした。死因は心臓損傷による失血死。遺体の頭部に2か所の皮下出血、胸部に13か所(うち4か所が心臓に達していた)と首に2か所の刺し傷、右足大腿部に1か所大きな切創があった。
また首に幅1㎝程度のビニールコードのようなもので絞められた痕跡が確認された。抵抗した痕跡がないことから、犯人は首を絞めて意識を失わせたうえで刃物を使ってめった刺しにしたと考えられた。体内の血液は半分以上が流出しており、遺体を浴槽につけるなどして血痕を洗い流した可能性が指摘されている。
現場には争った痕跡や血痕がなかったことから、別の場所で殺害され山道に運ばれて遺棄されたものと断定された。また当時の山道は車1台がやっと通れるような狭い道で、県外の人間ではなかなか気づきづらい場所だったことから、犯人は周辺の地理に詳しい人間ではないかとみられた。
遺体のあった斜面付近からは靴跡や複数のタイヤ痕が採取されている。靴跡は遺体から20センチ~1メートルの範囲にあった3か所で、斜面には靴が滑ったような跡があった。サイズは25~28センチ、靴底は平らだった。タイヤ痕は軽トラックのものと乗用車のものなど数種類あった。
似顔絵公開後、「知人女性に似ている」として下館市に住む会社員の男性(当時21歳)から連絡が入り、1月15日、該当の家族に確認を求めたところ、顔貌や指紋などから結城郡石毛町(現・常総市)で以前美容師をしていた谷嶋美智子さん(当時22歳)と特定された。谷嶋さんは12日早朝にこの男性と会っていたという。
谷嶋さんの住んでいたアパートは関東鉄道常総線・石毛駅から約400メートルの新興住宅地にあり、92年3月に完成してすぐに入居。トラック運転手をする若い男性と暮らしており、「夫婦かと思っていた」と話す近隣住民もいた。谷嶋さんは91年8月から知人の紹介で石下町(現・常総市)にある美容室に勤め始めたが、92年11月末、自動車学校に通うため仕事を辞めたという。退職後の11月28日に自宅から約1キロ離れた町営自動車学校(現在は廃校)に入校し、ほぼ毎日通っていたという。
事件前日の1月12日、谷嶋さんは早朝に知人男性と会った後、いつものようにタクシーに乗って自動車学校に向かい、卒業検定を受検していた。試験は9時頃から始められ、10時頃に終わった。合格者は午後にも講習も受ける必要があったため、谷嶋さんも午後のスケジュールは空けていたと推測されるが、試験は不合格。翌日の予約を入れ、10時半頃に学校を出ていく姿を職員が目撃していた。自動車学校の送迎サービスやタクシーの利用は確認されず、その後の足取りが途絶える。自宅に帰った様子が確認できないことから、誰かの車に乗った可能性も考えられた。
また、殺害のされ方が1992年に公開されて大きな話題となったサスペンス映画『氷の微笑』に似ているとして、レンタルビデオ店の顧客名簿が確認されたが、容疑者には結びつかなかった。尚、映画では被害者がアイスピックで31か所をめった刺しにされる。
谷嶋さんの自宅周辺、発見現場、元勤務先などを中心に捜査が続けられ、県警は15年間で延べ3万8千人の捜査員を動員し、約3万3000人に聞き込みを行ったが容疑者特定には結びつかず。目撃情報の乏しさからその後は大きな進展もなく2008年1月13日に時効が成立した。