未解決事件ファイル
さいたま市父娘放火殺人事件(2001年5月) |
2001年5月24日午後8時5分ごろ、埼玉県さいたま市栄和5丁目(現・さいたま市桜区栄和5丁目)で接骨院を経営している岡部伝二郎さん(当時64歳)の自宅2階から出火、鉄骨3階建て店舗兼住宅のうち2、3階部分など100平方メートルを焼いた。2階の焼け跡から岡部さんと長女で私立中学3年生の沙和佳さん(当時14歳)の遺体が見つかった。2人の死因は首や背中を切られたことによる失血死と判明。警察は殺人・放火事件として捜査を開始した。
2人はいずれも同じ薄刃の包丁で切られ、岡部さんは首に数か所、沙和佳さんは背中右側を1か所刺され、包丁の折れた刃先が残っていた。このほか沙和佳さんには頭部に犯人が故意に刺した細い金属棒が残されていた。2人とも煙を吸っていないことから、殺害された後に放火されたと見られている。岡部さん宅は1階が沖縄料理屋で2、3階が自宅になっており、岡部さんは玄関に近い浴室の脱衣所で、沙和佳さんは玄関から最も遠いベランダ近くの窓のそばで倒れていた。
岡部さんは妻(当時57歳)と沙和佳さんの3人暮らし。24日は午後6時30分ごろに2階の居間で3人そろって夕食をとり、岡部さんの妻は午後7時ごろに経営する美容院から呼ばれて玄関の鍵をかけずに外出したため、事件当時は不在にしていた。
午後7時30分ごろ、1階にある沖縄料理店の店長や従業員が2階で争うような物音を聞いている。また午後7時50分ごろには、中間テストを間近に控えた沙和佳さんに勉強を教えるため、女子大生の家庭教師が岡部さん宅を訪問。チャイムを鳴らしたが反応がなく、不思議に感じた家庭教師は岡部さんの妻が経営する美容院に向かったという。
午後8時ごろ、沖縄料理店の裏手でドスンという音が聞こえたため店長が見に行くと、2階から1階の物置の上に飛び降りたと見られる白い帽子の男が立っており「すいません」と言って立ち去り、その直後に火災が起きた。警察ではこれらの状況から、2人が殺害されたのは午後7時から午後7時50分の間と見ている。
現場は国道463号線、通称「埼大通り」に近い住宅街で、JR埼京線南与野駅から西に約1.5キロメートルの地点。国立埼玉大学の東に位置している。火災の発生した時刻の岡部さん宅前の道路は、家路に向かうサラリーマンや学生で人通りが多かった。当日の夜は雨が降っていた。
白い帽子の男は身長約175センチでがっちり型の若い感じ、長髪で前につばのある白い帽子をかぶり、白のトレーナーに紺色のジャンパーのような上着、薄い色のズボンを着用していたという。岡部さん宅の裏にある通路で携帯電話を耳にあててきょろきょろしている姿も目撃されている。現場周辺では運動靴の足跡が発見されており、白い帽子の男のものと見られている。
その後の調べで、事件前日の23日にに沙和佳さんの下校方法がいつもとは違っていたことを確認した。沙和佳さんはさいたま市内の中学校から帰宅する際には、通常JR北浦和駅から埼玉大学行きの路線バスを利用するが、23日はJR大宮駅から埼京線に乗り、南与野駅で午後6時2分に下車、その後は徒歩で帰宅していた。このことからストーカーなどにつけられていた可能性も考えられている。
不審な男が侵入するために使用した沖縄料理店の物置は、事件の前の年の夏に手狭になった店内を補うために設置したものだった。この物置がなければ侵入は難しく、男はあらかじめこの物置の存在を知っていたものと考えられる。現場の隣には電器店があるが、事件当日は休みだった。岡部さん宅と電器店はかなり隣接しており侵入の際に気づかれやすいため、犯人はこうした状況も事前に調べた上で犯行に及んだ可能性がある。
<埼玉県警ホームページ>さいたま市栄和5丁目地内男女殺人放火事件