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松山市看護学生殺人事件(1984年7月)

1984年7月15日午後8時ごろ、 愛媛県松山市泉町のアパート2階に住む県立公衆衛生専門学校看護科第2科2年、毛利久美代さん(当時19歳)方を隣室の同級生が訪ねたところ、毛利さんが布団の上で首を絞められてあお向けになって死んでおり、松山東署に届けた。

警察の調べによると、毛利さんは発見時下半身裸で、片方の足首に下着がひっかかっていた。上半身の衣服も首元までめくれ上がっている状態だった。首には細い紐が二重に巻き付いており、首の後ろで結ばれていた。玄関のドアにはカギはかかっておらず、室内を物色した跡はなかった。

室内は明かりがついており、窓側のカーテンは閉められていた。犯人は外付け階段からひさしを伝って無施錠の窓から侵入、就寝中の毛利さんを殺害後、玄関から逃走したものと思われる。死亡推定時刻は15日午前3時から同5時ごろで、死因は窒息死。愛媛県警は殺人事件とみて同署に捜査本部を設け、交友関係を中心に捜査を始めた。

毛利さんは愛媛県北宇和郡松野町出身で、1983年に愛媛県立宇和島南高校衛生看護科を卒業後、公衆衛生専門学校に入学。事件の約3カ月前から同アパートで1人暮らしを始めていた。毛利さんの叔父によると、おとなしくて静かな子だったという。

毛利さんは事件前日の14日夕、同市繁華街であったバレーボール部の新入生歓迎コンパに出席し、15日午前2時半ごろ帰宅していたことが分かっている。現場は伊予鉄道横河原線石手川公園駅の近く。

警察は毛利さんの交友関係にトラブルがないことや、部屋が荒らされていないことなどから、変質者の犯行と見て捜査。事情を聞いた3300人のうち、数十人に絞って捜査が続けられたが、目撃者が皆無で、遺留品が少ないことなどがネックとなり、犯人逮捕につながる有力な情報をつかむことができなかった。1999年7月15日に時効成立。



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