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石嵜容子さん行方不明事件(1990年12月)

1990年12月31日午後5時ごろ、茨城県猿島郡三和町(現・古河市) の町立三和北中学校2年生の石嵜容子さん(当時14歳)が行方不明になった。

石嵜さんは大晦日のこの日、学校でのクラブ活動を終えていったん帰宅。その後友人と買い物に行くために再び外出している。この時(自宅から出るとき)に、祖母から「大晦日だから早く帰ってくるんだよ」と声をかけられ、石嵜さんは「はい」と返事をしたという。

その後、石嵜さんは友人と一緒に近所のスーパーマーケットで買い物をし、自宅から北へ2キロほど離れたガラス工場近くの交差点でこの友人と別れたのを最後に行方不明になった。

最後に会っていた友人の家から石嵜さんの自宅へ向かう途中の川沿いの道に、石嵜さんの自転車が置かれているのが発見されている。自転車は、自宅方向ではなく友人宅の方向を向かって置かれており、前カゴには石嵜さんの所持していたカバンがそのまま入れられていた。

自転車が発見された場所は、周囲を畑などに囲まれており街灯なども少なく、夜になると真っ暗になる。石嵜さんはこの付近で何らかのトラブルに遭い行方不明になった可能性が高いと見ている。

その後、家族によって行方不明者届が出され、警察は公開捜査に踏み切った。石嵜さんは失踪当時おかっぱ頭で、身長は160センチ、服装は茶色のコートにスカート姿。所持金は持っていなかったという。この状況から家出の可能性は低く、何者かによる誘拐など、何らかの事件に巻き込まれた可能性が高いと見られている。

失踪から4日後の1991年1月3日、石嵜さんの友人宅に石嵜さんを名乗る女性から電話があり「家出した」と話したという。この友人宅への電話があった直後に、自宅にも石嵜さんを名乗る人物からの電話があった。この時には「新宿に居る。人が大勢いて帰れない」などと話した後電話は切れ、それ以降1度も石嵜さんらしき人物からの連絡はないという。

北朝鮮による拉致説、集団による組織犯罪説など諸説挙げられているが、現在も石嵜さんは行方不明のままである。




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