未解決事件ファイル
広島県安芸郡主婦失踪事件(2001年9月) |
2001年9月24日、広島県安芸郡府中町青崎のマンションに住む主婦・田辺信子さん(当時50歳)が行方不明になった。
田辺さんは失踪当日、友人と食事に行く約束をしていた。午前10時ごろに友人が田辺さんに誘いの電話をかけた際、「シャワーを浴びたいので、用意ができたら連絡する」という返事が返ってきたという。
また田辺さんはこの日、癌で入院中だった夫の着替え類などを届けに病院へ行く予定だったため、友人と昼食を食べた後一緒に病院へ行く予定だった。
午前11時20分、田辺さんから友人の携帯電話に「用意ができた」と連絡があった。友人は「車で迎えに行くから、マンションの下に着いたら電話をする」と答え、すぐに田辺さんの自宅マンションへ向かった。
午前11時48分、友人の携帯電話に田辺さんからの着信があったが、友人は車を運転中だったため、電話を取らずにそのまま運転を続けていたという。
午前11時50分、友人が田辺さんのマンションに到着。田辺さんの携帯電話にかけ直したところ、「あー」という声が聞こえただけで数秒ほどで電話は切れてしまった。友人は不可解に思ったが、そのまま車で待機し田辺さんを待つことにした。
しかし正午になっても田辺さんからは何の連絡もなく姿も現さないため、友人が再び電話をかけたところ、「あー」、「うー」という声が聞こえただけで電話は切れてしまった。
午後12時21分、友人は、マンション3階の田辺さんの部屋を訪問。インターホンを押したが反応はなく、ドアも施錠されていた。友人は約束を反故にされたと思い、12時30分ごろその場を去ったという。
不審に思った友人が午後7時30分ごろ入院中の田辺さんの夫に連絡したところ、田辺さんはこの日病院には訪れていないことが発覚した。午後8時ごろ、友人が田辺さんの夫と2人でマンションへ様子を見に行ったところ、部屋は施錠されており、室内からの応答もなかった。
田辺さんの夫はその時鍵を持っていなかったため、鍵屋を呼んで午後8時30分ごろ開錠、部屋に入った。室内には誰もおらず、荒らされた形跡はなかった。ベランダには洗濯物が干されたままになっていたという。また、夫に届けるつもりだったと思われる着替えの入った袋もそのまま残されていた。
シャワーを使った形跡はあったものの、化粧品などは室内にそのまま残されており、テーブルの上には夫婦の病院の診察券が置きっ放しになっていた。
田辺さんが普段使用していたショルダーバッグが無くなっており、中には夫への見舞金などの現金約25万円、夫の障害手帳、携帯電話、その他カード類などが入っていたとみられる。
翌25日、田辺さんの夫は捜査を依頼するため広島市東警察署を訪問したが、警察署は家出人扱いの行方不明者としてこの案件を受理。事件としての捜査は行われなかった。
その後、警察の調べで田辺さんの携帯電話の電波が24日の午後9時10分に呉駅(田辺さんの自宅からおよそ20キロメートル)の付近で途絶えていた事が判明したが、それ以降の足取りはつかめなかった。
田辺さん失踪から5日後の29日の朝、田辺さんの自宅マンションに差出人不明の手紙が届く。手紙には「私もやっと妻子と別れ、はれて信子と一緒になることが出来ました。ふたりを探さないで下さい。」と書かれていた。この手紙はワープロで書かれており、消印は9月26日付、田辺さんの自宅から90キロ以上離れた福山郵便局から配送されたものだった。
しかし田辺さんは夫とはおしどり夫婦として知られており、癌で入院した夫を甲斐甲斐しく世話していたという。また田辺さん本人も心臓病や癌を患っており定期的に病院を受診していたが、診察券は自宅に残されたままだった。
田辺さんは失踪前、夫方の親族との間に遺産相続をめぐるトラブルを抱えていた。田辺さんの実兄や友人らの証言によると、田辺さんは、夫の母親の財産の管理を任されていたが、義母の死後この財産の相続権をめぐって、夫方のある親族から脅迫を受けていたという。
友人の証言によると、夫方の親族が田辺さんの自宅に押しかけ「殺すぞ!」などと田辺さんに怒鳴る場面も目撃しているという。田辺さんの兄や友人らは夫方の親族を犯人と疑い、これらの内容をホームページで公開し事件性を訴えていたが、現在このサイトは削除されており、田辺さんの行方も依然として不明のままである。