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元尾道市長夫婦殺人事件(1980年2月)

1980年2月9日の朝、広島県尾道市浦崎町に住む元尾道市長の佐藤勲さん(当時52歳)と妻の英子さん(当時45歳)が自宅2階の勲さんの寝室で血を流して倒れているのを、勲さんが経営する病院に勤務していた看護師の女性が発見した。女性は医師である勲さんが自宅横に開いた病院で働いており、病院に来ない勲さんを迎えに行ったところだった。

病院職員らが駆け付けて救命行為をしたが現場は血の海だった。勲さんは首などを切られてほぼ即死状態、英子さんは背中などを中心に35カ所も刺されていた。室内の金庫(重さ65キロ)が木棚から引き出され、祝儀袋などが散乱していた状況などから広島県警は強盗殺人事件と断定。福山西署に捜査本部を置いて捜査を開始した。

勲さんの寝室のドアのそばに英子さん、その奥に勲さんが倒れていた。勝手口の内側のドアノブに血痕が残っており、犯人はここから侵入、逃走したと思われた。指紋は検出されなかったため、手袋をして犯行に及んだものとみられる。

また、2階にある洗面台の水が出しっぱなしになっていたことから、殺害後に洗面台で手や凶器の刃物を洗ってから立ち去ったとみられる。事件当時家には次女(当時25歳)が同居していたが、看護学校へ行っており不在だった。朝出掛ける時には不審な点はなかったという。

金庫は物色されていたが勲さんの財布は手つかずで残され、英子さんの所持品にもなくなったものは確認できなかった。その後の調べで県警は佐藤さん宅の倉庫で犯人が残したとみられるニッパーやたがねなど工具4点を発見。事件数日前に尾道市内で買われたものと確認した。しかし、これらの工具を使って犯人が金庫こじ開けようとした形跡などは残っていなかった。

佐藤さん宅は延べ床約467平方メートルの2階建ての豪邸。地元では「浦崎御殿」と呼ばれていた。完成からまだ3年半あまりだった。広い家屋の2階で夫婦が別々の寝室にいることを知っている人間は少なかったが、犯人はあらかじめ電話線を切断してから邸内に侵入し夫婦の寝室がある2階まで一直線に階段を上って凶行に及んでいたことが分かっており、計画的犯行とみられる。

勲さんは医師で元尾道市長。尾道市議を4期務めた後1975年4月の尾道市長選挙で初当選し、尾道市の当時の累積赤字をなくすなどの実績を挙げていた。しかし、2期目を目指していた1979年2月に市立学校の増改築をめぐり、業者に便宜を図った謝礼を受け取ったという贈収賄容疑で逮捕、起訴され公判中の身だった。

捜査を進めていくうちに県警は物取りではなく、内部に詳しい人物による犯行との見方を強め、事件発生から2年半後に動機を「恨み」に絞り込んだ。夫妻が殺害された寝室に借用書が散乱していたことから、金銭トラブルによる犯行も考えられた。

勲さんの交友関係が広かったこともあり捜査は難航。殺し屋による贈収賄事件の口封じ説、案内役と実行役に分かれた複数犯人説も浮かんだが、犯人の特定に至らないまま1995年2月に時効が成立した。




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