未解決事件ファイル
宮城県川崎町3歲女児行方不明事件(1983年11月) |
1983年11月1日午後4時30分頃、宮城県川崎町に住む澁谷美樹ちゃん(当時3歳)が保育園からの帰宅途中に行方不明になった。美樹ちゃんは、保育園に迎えに来た祖父の喜代治さんが運転する車の助手席に乗った。
自宅までの帰り道、喜代治さんは道路脇に知人を見つけて車を停車し、美樹ちゃんに車内で待っているように伝えたが、田んぼに降りて知人と話している数分の間にいなくなってしまった。喜代治さんはすぐに知人と共に周囲を探したが、見つからず大河原警察署に「孫がいなくなった」と届け出た。
助手席には美樹ちゃんの保育園のカバンと帽子が残されており、助手席のドアが40センチほど開いていた。警察で調べたところ、喜代治さんが車を停めた近くに6mほどのスリップ跡があり、路上から美樹ちゃんと同じO型の血痕が見つかった。また、近くで農作業をしていた女性が美樹ちゃんが車から降りて車の前に立ち、喜代治さんの方を見ていたのを目撃している。
その他にも、喜代治さんの車から15mほど離れた場所に薄茶色の車が停まっており、車のそばに30歳前後の男女が立っていたという目撃証言もあった。この車は現場から400m先の路上でも猛スピードで走り去る姿が対向車の運転手によって目撃されている。
美樹ちゃんが行方不明になった翌日2日午後5時ごろには、某別荘地で薄茶色の車に乗った男女が、車のトランクを開けるなど不審な行動をしているのを目撃した人がいた。不審な男女を目撃したのは、美樹ちゃん捜索に協力していた同町内の人。その男女に近づこうとしたところ慌てた様子で走り去ったという。警察は美樹ちゃんが付近に捨てられた疑いも視野に入れ、警察犬を出して捜索したが見つからなかった。
警察は当初現場から見つかった血痕やタイヤのスリップ痕から、美樹ちゃんが1人で車外に出て交通事故に遭い、そのまま連れ去られたとする交通事故説の線で捜査を進めてきたが、捜査資料の再検討の結果、薄茶色の車の所有者か、その関係者が交通事故を装い、計画的に美樹ちゃんを連れ去った可能性が強まった。
しかしながら澁谷さん一家に他人から恨みを買うような点が全く認められないこと、美樹ちゃんは人見知りする子なので知らない人について行くようなことはなく、無理に連れ去ろうとすれば泣き叫ぶはずであること、失踪当時、喜代治さんの知人が脱穀機を使って脱穀作業の最中だったため、脱穀機の音で事件や事故に関連する音がかき消された可能性もあり失踪原因の特定は困難を極めた。
美樹ちゃんは両親、祖父母、曾祖父の5人家族で、父・民夫さん(当時31歳)と母・勝江さん(当時36歳)は共働きだったため、喜代治さんらがよく面倒を見ていたという。美樹ちゃんは行方不明になる前年12月に町立川崎保育園に入園、家族が毎日車で送迎していた。おとなしい子で、保育園では1人で砂遊びをしていることが多かったという。
この事件では、当時澁谷さん宅近くの実家に酒を仕入れに来ていた飲食店経営の男(当時31歳)が猛スピードで車を走らせている姿を目撃されており、何度も事情聴取を受けている。男は美樹ちゃんの父親の民夫さんとは同級生だった。なお、この男は事件後に車を変え、美樹ちゃんの失踪当時に乗っていた車は見つからなかった。
事件発生直後には澁谷さん宅へ無言電話や身の代金要求の電話がかかってきたため、これについても捜査を行ったが、 便乗犯の可能性も捨て切れず犯人と特定するには至らなかった。 後の捜査関係者によると、「川崎町の住民はほとんどが親類縁者ということもあり、本当の事をなかなか言ってくれない為、正確な情報が得られず苦労した」と話している。
美樹ちゃんは事件発生前夜いつもとは違う行動をしており、母親の勝江さんは2009年の取材で「いつもは寝付くと起きたことなんか無い美樹が事件のあった前の晩にかぎって起きて、足元にまとわりついて離れなかった」と答えており、美樹ちゃんはこの時既に自分の身に起こる異変を感じ取っていた可能性もある。
未解決事件の行方不明事件を扱うテレビ番組でもこの事件が何度か取り上げられており、その度に全国から寄せられる情報に関して裏づけを取っているが、肝心の美樹ちゃん本人に関する情報は現在に至るまで得られていない。美樹ちゃんが失踪した現場には、1984年10月に大河原警察署により建てられた情報提供を求める看板が現在でも設置されている。