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茨城・五霞町女子高生殺人事件(2003年7月)

2003年7月9日、東京都足立区西竹ノ塚に住む、都立高校の通信制普通科1年生の佐藤麻衣さん(当時15歳)が茨城県五霞町川妻の道端でうつぶせに倒れて死んでいるのを散歩中の住民が発見した。死因は首を紐のようなもので絞められたことによる窒息死だった。現場は利根川右岸の堤防沿いで、堤防はジョギングコースとなっていた。

遺体発見時、麻衣さんは上下とも黒いスポーツウエアタイプの服を着用し、靴は履いていなかった。鞄代わりに使っていた袋の中に携帯電話や財布等を入れていたが、この袋は今のところ発見されていない。 白い靴下が汚れていないことから、室内などの別の場所で殺され、車で運ばれ捨てられたとの見方を強めている。首には絞めた跡の他に、喉元付近に強い打撃あるいは圧迫を受けたようなアザがあり、胸を素手で殴られたような跡もあった。

麻衣さんはマンションで母親(当時52歳)と兄(当時16歳)の3人暮らしだった。自宅には別居しており、大阪府に住んでいるヨルダン国籍の父親(当時38歳)も時々訪れていた。また、麻衣さんは通信制高校入学後は5月中旬から埼玉県草加市の東武伊勢崎線の草加駅内にある洋服店でアルバイトをしていたという。中学校の同級生は「明るくおしゃれでかわいい子」という印象を持っていたという。目鼻立ちのはっきりした美人で、身長も170cm近くありスタイルも抜群で、かなり目立つ存在だったとも噂されている。

麻衣さんの生存が確認されているのは遺体発見の3日前の6日。この日はアルバイトは休みだった。母親と兄は宮城県にある母親の実家に帰省して不在だったが、麻衣さんも後から合流する予定だった。自宅には代わりに父親が来ていた。この日は昼過ぎになると父親に「午後8時過ぎには帰る」と言って外出した。 このあとバイト先の同僚女性(当時20歳)と草加市内で昼食後、東武伊勢崎線の草加駅から北へ行った場所にある新越谷駅で降り、駅近くの洋服屋で洋服を購入。食事などをした後、午後6時ごろに東武伊勢崎線の新越谷駅から東京方面に向かう上り電車に乗った。同僚は2つ目の新田駅で先に降りた。このとき麻衣さんは「これから友達と会う」と話していたという。

その後麻衣さんは谷塚駅で降り、駅東側約200メートルの場所にある草加市瀬崎町の浅間神社で開かれていた夜祭りの会場を訪れた。午後7時ごろ、中学校時代の同級生に携帯電話で祭りに来ていることを連絡している。しかし会う約束をしていた中学校の同級生は都合が悪くなり祭りに来ることが出来なくなったため、麻衣さんは会場に1人でいた。代わりに一緒に祭りを楽しむ友達を探して携帯電話で複数の友人に電話していた。

その後、会場で出店していたかき氷店のアルバイト女性(当時17歳)と意気投合し、午後8時ごろからこの店の客引きを手伝っていた。麻衣さんが店をあとにする際、店員は「お礼がしたい」と言ったが麻衣さんは断り「また連絡して」と言って別れた。直後に谷塚駅前のコンビニ前で階段に腰をかけ、飲み物を飲みながら人を待っているように座り込んでいたのを最後に消息を絶った。 午後10時ごろから携帯電話に反応しなくなったという。

事件から7年目となる2010年7月を目前に、茨城県警の助川大(ひろし)刑事部長をはじめとする捜査関係者35人は佐藤さんが遺棄された現場を訪れて献花し、事件解決に向けて今後の捜査方針の検討会を開いた。

捜査本部には、これまで73件の情報が寄せられたが、2009年7月12日を最後に情報が途絶え、犯人逮捕につながる有力な手掛かりはないという。「祭礼で露店の手伝いをした後、足取りがつかめていない」と目撃情報が少ないことを指摘した。

今年も佐藤さんが着ていた黒色のスポーツウエア上下の図柄が入ったうちわ2000枚を作成、神社周辺で遺族や捜査関係者らが配り、情報提供を呼びかけた。また、7月4日に期限を迎える有力情報提供者への謝礼金制度(300万円)も1年間延長するという。

<茨城県警ホームページ>五霞町川妻地内における女子高校生被害殺人・死体遺棄事件



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