日本で起こった未解決事件をファイリングしていくサイト
ホーム 未解決事件ファイル(〜2000年) 未解決事件ファイル(2001年〜) 全国指名手配犯 “行方不明事件”

未解決事件ファイル

大阪市西成区女医不審死事件(2009年11月)

2009年11月16日午後1時20分ごろ、大阪府大阪市西成区鶴見橋のくろかわ診療所で内科医として勤務していた医師の矢島祥子さん(当時34歳)の遺体が診療所から2.5kmの位置にある、大阪市西成区の木津川、千本松渡船場(水深約8m)で浮いているのを釣り人によって発見された。矢島さんは服を着たまま立位の状態で浮かんでおり、死後硬直がある状態だった。

矢島さんの体には、後頭部から頭頂部にかけて3cm程度のコブがあり、首の両側には線状の圧迫痕があった。顔には溢血点があり、前頭部や右脛、右手などに表皮剥離がみられた。 その後、大阪府警察本部の調べで、矢島さんが死亡直前に知人に宛ててメールや「元気で長生きしてください」と書かれた絵葉書を送っていたことが分かり、「過労による自殺」と判断。絵葉書を送られた知人男性本人も自殺だと証言した。

しかし、矢島さんの遺族は自殺という結論に疑問を持ち、警察に再捜査を訴えた。そして2012年8月22日に「殺人・死体遺棄事件」としての刑事告訴状が受理され、再捜査が行われることになった。

矢島さんは遺体が発見される3日前の11月13日22時ごろ、勤務先のくろかわ診療所で30分程度知人と雑談をした後、残業をしていたことが分かっており、23時過ぎには、約30分間外出していたことがカードキーの情報から判明している。

翌日11月14日深夜0時以降、矢島さんは診療所内のパソコンで電子カルテのバックアップをしており、明け方の4時15分に警備システム(ALSOK)を作動させて、診療所を出た。4時16分に警備システムの警報が作動、4時50分に警備会社の警備員が診療所に駆け付けるが、特別な異常はなく、診療所には誰もいなかった。同じころ、矢島さんは知人にメールや絵葉書を送ったとされている。

くろかわ診療所は商店街の中にあるが、矢島さんが診療所を出た時刻ごろの付近の防犯カメラには、矢島さんは映っていなかった。矢島さんの自宅隣にあるマンションと斜め向かいのコンビニの防犯カメラに関しては事件当日、録画自体されていなかった。警察はマンションの管理人のミスで録画されていなかったと発表したが、管理人は24時間作動していたと発言している。

15日の朝には診療所のスタッフが西成警察署に矢島さんの捜索願を出すが、受理されなかった。同日の10時20分ごろ、くろかわ診療所所長の黒川渡医師が群馬県在住の矢島さんの家族に矢島さんが行方不明であることを連絡し、家族が高崎警察署に捜索願を出した。

同日に診療所のスタッフが心配し、矢島さんの自宅を訪問した際、自宅玄関の鍵は開いていた。部屋には自宅、診療所の出入り口、机、ロッカーなどの鍵束が残されたままになっていたという。また郵便ポストが破壊されており、部屋の中は矢島さんの指紋も検出できないくらいきれいに掃除されていた。ほこりが溜まるようなテレビの裏や本棚の天板もきれいな状態だった。このことから、何者かが証拠隠滅のために入念に部屋の掃除をした可能性が高いとみられる。

2009年12月には遺体発見場所から2.5km離れた市営団地の駐輪場で矢島さんの自転車が見つかった。自転車も矢島さんの自宅同様、誰の指紋も検出されなかった。

矢島さんは西成区あいりん地区のボランティアをしており、ホームレスの支援活動を熱心に行っていた。診療所で働きながら、週1回の夜回りを行うなどしており、「マザーテレサ」と呼ばれるほど献身的な活動を行っていたという。

あいりん地区は日本最大のドヤ街といわれ、日雇い労働者や生活保護受給者が多い地区として知られている。この地域は生活保護受給者が受け取った受給費を不正に搾取する貧困ビジネスの温床となっていることから、矢島さんがこれらの貧困ビジネスに絡んだ犯罪に巻き込まれた可能性があるとして調べているが、事件解明には至っていない。

矢島さんは事件直前、長兄に「西成は危険だからやめたい」「兄の家に引っ越してもいいか」と相談していたという。また、矢島さんと親しい知人によると矢島さんは「殺されるんじゃないか」とよく口にしており、亡くなる2日前にも誰かに付け回されたため、12~13日は身の危険を感じて、友人宅に泊まっていたという。




お問い合わせ

Copyright (C) 2023 未解決事件X All Rights Reserved.

inserted by FC2 system