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未解決事件ファイル

世田谷一家4人強盗殺人事件(2000年12月)

2000年(平成12年)12月30日(土曜日)午後11時ごろから翌31日(日曜日)の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目23番26号の会社員・宮澤みきおさん宅で、みきおさん(当時44歳)・妻の泰子さん(当時41歳)・長女の区立小学校2年・にいなちゃん(当時8歳)・長男の区立保育園年長・礼くん(当時6歳)の4人が何者かに殺害された。 31日の午前10時55分ごろ、隣に住む泰子さんの母親が発見し、事件が発覚した。電話が通じず不審に思い宮澤さん宅を訪問、呼び鈴を鳴らしても反応がないため合鍵で中に入ったという。

宮沢さん一家は30日の夕方ごろ、千歳烏山駅付近の商店街で買い物をした後、自宅で食事をしたりテレビを見たりして、家族団らんで過ごし、事件発生時みきおさんを除く3人は就寝中だったとみられる。胃の内容物などから、一家が殺害された推定時刻は30日23時30分ごろとされている。逃走後の犯人の移動手段、経路については現在のところ不明である。

犯人は宮澤さん宅の2階の浴室の窓もしくは1階の玄関から出入りしたものと見られており、まずはじめに2階の子ども部屋で寝ていた礼くんの首を手で絞め殺害した。礼くんは2段ベッドの下段でうつ伏せの状態で倒れており、布団がかぶせられていた。その後、異変に気づき1階から2階に上ってきたみきおさんを包丁で刺して殺害。最後に3階の屋根裏部屋で寝ていた泰子さんとにいなちゃんを切り付け殺害したと見られている。みきおさんの遺体は1階の階段下、泰子さんとにいなちゃんは屋根裏部屋下の2階踊り場付近で発見されている。

現場からは泰子さんが経営していた学習塾(公文式)の授業料約20万円がなくなっていたが、銀行の預金通帳やキャッシュカード、貴金属類などは持ち出されていなかった。1階書斎の本棚に置かれていた現金約6万円が入った封筒にも手がつけられていなかった。

また、みきおさんのトレーナーがなくなっていた。トレーナーは魚の柄で前面に「DIVE」という文字が入っており、背面にはAからZのアルファベット26文字がプリントされていた。1991年から1996年ごろまで販売されていたものだった。

2階のキッチンの冷蔵庫からペットボトルのお茶やメロン、アイス4個を取り出した形跡が残されていた。犯人が4人を殺害後飲食したものと思われる。アイスは容器ごと握りつぶして食べた形跡があった。容器はキッチンと浴槽からそれぞれ1個ずつ発見され、パソコン脇にあった2個は重ねられていた。また、物色中に犯人がガムを噛んでいたことも分かった。

2階の浴室では、浴槽の中にみきおさんの仕事関係の書類や泰子さんの塾の書類、広告チラシ、アイスのカップなどが散乱していた。書類や広告チラシなどはハサミや手で引きちぎられていた。なお、2000年正月の年賀状だけなくなっていたため、犯人が持ち去ったとされている。

2階の居間では、ソファーにカード類や手帳、銀行の預金通帳、運転免許証など生年月日の分かる書類などが仕分けされていた。また、戸棚や机などのほとんどの引き出しが下から順番に開けられ物色された形跡があった。これは空き巣特有の手口とされている。

また、犯人が1階の書斎にあるみきおさんのパソコンを操作した可能性があることも判明。犯行時刻以降、2度(31日午前1時18分と午前10時ごろ)に渡りインターネットに接続されていたことが判明した。マウスから犯人の指紋が検出されたが、キーボードからは検出されていない。パソコンの電源ケーブルは発見時には抜け落ちていた。

接続先はみきおさんの勤務する会社のサイトから、大学の研究室のサイトや科学技術庁のサイトなど、専門色の強いサイトも含まれていた。また、みきおさんがお気に入りに登録していた劇団四季のホームページから舞台チケットを予約しようとして失敗した記録も残されていた。

犯人がパソコンを操作していたことが事実だとすると、犯行時刻の午後11時30分ごろから、泰子さんの母親が4人の遺体を発見する数十分前に当たる午前10時過ぎまで、犯人は半日近くもの間宮澤さん宅に潜んでいたとみられた。しかし後の再現実験の結果、マウスが落下するなどの衝撃でインターネットに自動接続する可能性があることや、2度目のネット接続ではみきおさんの会社のホームページが表示された以外の履歴がないことから、1度目の閲覧の後逃走した可能性も出てきている。

犯人は犯行時に右手を負傷しており、救急箱が物色されていた。犯人の指紋が付着した絆創膏、血痕が付着したタオルなどが2階のキッチンに散乱していた。絆創膏の1枚は傷口に当てたあとで剥がし、居間にあったノートの裏に貼りつけていた。また、生理用品で止血を試みるなど治療した形跡も残されていた。

DNA型から、犯人はA型の男で身長170センチ前後、事件当時は比較的若かったことが分かっている。また父系が「日本や中国、韓国を含む東アジア」、母系が「日本人ではなく、アドリア海周辺の南欧系民族」の可能性が高いとされたが、犯人の絞り込みにはつながっていない。薬物やタバコ等を摂取しておらず、健康な状態の人物とされている。

犯人が物色した引き出しや壁などからは多くの指紋が見つかっている。特に両手親指の指紋が鮮明で、中心から同心円を描く渦巻き状の「渦状紋(かじょうもん)」と呼ばれるタイプの指紋だった。これまでに約5000万件の指紋と照合し、韓国など海外でも協力を求めているが、現在までに一致するものは見つかっていない。

現場には犯人の私物と思われる遺留品が多数残されていた。詳細は以下の通り。

【柳刃包丁】
柳刃包丁「関孫六 銀寿」。福井県のメーカーから2000年6月に1500本製造されていた。刃渡り21センチ、全長約34センチで、一般的に刺身包丁に使われる。全国の量販店、ディスカウントストアなどで販売。現場付近では、世田谷区、杉並区内で事件前月の11月中に13本販売、宮澤さん宅から数キロ圏内にある小田急経堂駅近くのスーパーで事件前日の29日に2本販売、東急田園都市線用賀駅近くのスーパーでも事件前日と当日の30日に1本ずつ販売されていた。

【トレーナー】
返り血が大量に付着していたが、2階の居間から綺麗に畳まれている状態で発見された。デザインは、胴の部分がグレーで両腕および丸首の部分が紫色。同年TBSで放送されたドラマ「ビューティフルライフ」で、主演の木村拓哉さんが着ていたものと同じタイプで、当時、若者の間で流行していたラグランシャツと呼ばれるもの。

このトレーナーと同タイプで同サイズのものは全国で130着、都内では八王子、聖蹟桜ヶ丘、荻窪、青戸の4店舗に10着しか売られていなかったことも判明している。(販売店舗はいずれも現在は閉店)1着の所在が判明したが、捜査本部は購入者が判明していない残り9着のトレーナーの行方について情報提供を呼びかけている。

【ジャンパー】
ユニクロ製「エアテックジャンパー」で、黒色、Lサイズ。事件直前の2000年11月に販売後、すぐに完売した。

【帽子】
フリーサイズ、灰色でアクリル100%の毛糸織り、黒色のラインが入っている。全国のジーンズショップで販売され、1998年7月から2000年11月までの間で3465個販売。都内で遺留品のトレーナーが販売されていた4店舗でも販売していた。

【ヒップバッグ】
平成7年9月から平成11年1月までの間に全国で販売されていたもの。製造数2,850個、価格は2,900円。縦21センチ、横27センチ、幅9.5センチ。ベルトの長さは83センチで、B5サイズのノートが入る大きさ。500ミリリットルのペットボトルが7本入る。使い古された状態で赤色蛍光材が付着していた。分析の結果、蛍光ペンのインクが付着したとみられる。また、バッグの中から砂が検出されており、カリフォルニア州の砂である可能性が高いことが分かっている。

【頭髪】
ヒップバッグの中に、犯人のものと認められる長さ約2.5センチと約1.5ミリの2本の頭髪が入っていた。長さ約2.5センチの頭髪は黒色で、抜けおちたものではなく、切断されたもの。長さが約1.5ミリの頭髪は黒褐色で、両端がバリカンのようなもので切断されたもの。ヒップバッグを着装していた時期に黒色又は黒褐色の髪色だったと考えられる。

【マフラー】
緑色地に赤、黒、オレンジ、濃い緑の格子模様が入っており使い古された状態だった。アクリル製。小さいタイプのマフラーで、長さ130センチ、幅30センチ。製造元などは不明。100円ショップでも売られている可能性のあるもの。事件前に中学校の指定制服販売店の景品でもらった、ガソリンスタンドの景品でもらったという情報もある。

【手袋】 黒色、フリーサイズ。中はボア付きで外側は豚革を使用。1998年~2000年に1万755組が販売されている。

【運動靴】 日本のサイズで27.5センチ。アッパー外側と靴底等に「Slazenger(スラセンジャー)」と記載のある韓国製の靴。日本国内の正規ルートでの販売は確認されていない。並行輸入等については不明。テニスシューズとバスケットシューズの2種類があり、テニスシューズは白地に灰色ライン、白地に紺色ライン。バスケットシューズは白地に灰色ライン、白地に紺色ライン、紺地に白色ライン。靴紐の穴はテニスシューズ左右6個ずつ、バスケットシューズ左右8個ずつ。平成10年10月から平成12年11月までの間に製造された。

【ハンカチ(2枚)】
2階の踊り場付近とキッチンで発見された。45センチ四方の黒色無地で、無印良品で販売されていたもの。1枚は中央付近に約3センチの切り込みがあり、他の部分をその切り込みに通して袋状にし、そこに包丁の柄を差し込んで、滑り止めにしたと思われる。中国の水産加工場で、包丁で魚をさばく際の滑り止めのため、似たような方法で包丁にハンカチを巻くことがあるという。もう1枚は三角形に折られ両端に絞ったような痕があることから、覆面として使った可能性がある。

【香水】
凶器を包んでいたハンカチやヒップバッグに付着していた。フランス製の「DRAKKAR NOIR」(ドラッカーノアール)。1982年ごろから日本国内量販店などで販売されており、事件当時、JR荻窪駅の雑貨店でも購入できた。

みきおさんは外資系企業の会社員で、大手企業のCI開発等を担当をしていた。趣味はアニメで、学生時代は人形劇や演劇に興味があったという。泰子さんは自宅で学習塾を経営。にいなちゃんはバレエ教室やピアノ教室に通っていたという。

現場は都立祖師谷公園内の一角で、宮澤さん一家が越してきた1990年(平成2年)には約200世帯あった住宅も、公園拡張に伴う立ち退きにより、事件当時は宮澤さん宅も含めわずか4世帯しか残っていなかった。宮澤さん宅の西側には仙川が流れており、自宅裏手の通称・汽車ぽっぽ公園には、かつて多くの子供たちや保護者の姿があった。現場北側には駒澤大学野球部のグラウンドがある。

東京都は宮沢さんの土地を買い取って住宅を撤去し、一家は転居することになっていた。しかし住宅の明け渡し期限を約3カ月後に控えた中で事件が起きたため、警視庁は証拠保全を目的に家の解体を延期するよう遺族に要請。2019年末に要請は解除されたが、事件が解決していないことから、遺族と都の話し合いにより解体は当面延期された。

事件からちょうど100日目の2001年4月9日、宮澤さん宅から仙川を隔てた世田谷区上祖師谷4丁目の遊歩道脇に地蔵が置かれていたことが判明した。全体の大きさは高さ約59センチ、重さ約19.5キロ。地蔵部分は高さ約50センチ、重さ約12.5キロ。台座部分は高さ約11センチ、直径約22センチ、重さ約7キロ。

地蔵の底と台座上部に「六」の文字のようなものが縦約8センチ、横約5センチの大きさで彫られていた。指紋は採取されず、誰が置いたかも不明。特別捜査本部ではこの地蔵の製造・輸入・販売などに関する情報提供を呼びかけている。

この事件は警察庁が指定する捜査特別報奨金制度の対象事件。犯人検挙につながる有力な情報を提供した人に警察庁の懸賞金上限300万円、上祖師谷3丁目一家4人強盗殺人事件の捜査に協力する会の私的懸賞金上限1,700万円、合計で上限2,000万円の懸賞金が支払われる。

<警視庁ホームページ>上祖師谷三丁目一家4人強盗殺人事件



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