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未解決事件ファイル

八戸市女子中学生刺殺事件(1993年10月)

1993年10月27日、青森県八戸市城下4丁目の住宅で、この家に住む宮古若花菜さん(当時14歳、中学2年生)が刺殺された状態で発見された。病院に勤務する若花菜さんの母親(当時46歳)が帰宅した際に、母親の寝室で倒れていたという。室内に物色された形跡はなかったが、玄関、居間、風呂場の脱衣所の3か所の窓が施錠されていなかった。また、玄関のガラス戸が割れ、外側に向かって破片が飛び散っていた。

若花菜さんは発見時仰向けの状態で、口には粘着テープが張られ、両手は後ろ手に粘着テープで縛られていた。上半身は、学校指定のジャージにパーカーを羽織っていたが、下半身は裸で座布団が掛けられていた。しかし、乱暴された跡はなかった。トレーナーのズボンと下着は、頭の右横の方に落ちていた。さらに自宅で使われていた包丁が右足の横に落ちていたが、血も指紋もついていなかった。左首、右ふくらはぎ、左ひざなど数カ所に傷があったが致命傷は心臓を貫通する刺し傷であり、死因は失血死。殺害場所(寝室)以外で血痕があったのは、玄関付近の廊下1か所だけだった。

事件当日17時40分頃、若花菜さんは陸上部の練習を終えて友人2人と共に下校している。いつもは途中の食料品店に寄り道して18時30分頃に帰宅するが、若花菜さんは「今日は18時までに帰宅し、20分頃までは家に居なければならない」と言い寄り道せずに帰宅したという。友人は理由を聞いたが、若花菜さんは答えなかったという。

一方で母親は18時23分頃に帰宅しているため、犯行は若花菜さんが帰宅した18時から母親が帰宅するまでのわずか20分ほどの間に行われている。18時15分~18時20分頃には、近隣住民がガラスが割れる音を聞いている。

犯行現場(寝室)の隣部屋のコタツの上からは犯人のものと思われる遺留品が見つかった。日本たばこ産業盛岡工場で製造されたマイルドセブンライトの吸い殻2本、たばこの吸い殻入れとして使われた缶コーヒー、若花菜さんの口に貼られていたものと同じ日東電工社製の布製の粘着テープ。このテープはJR本八戸駅前のスーパーだけで売られていた。若花菜さんの家族で喫煙者はいなかった。タバコから唾液が検出できればDNAも検出できた可能性があるが、青森県警は1995年度までDNA型鑑定を導入していなかった。

宮古さん一家は5人家族。若花菜さんは長女で、両親と2人の兄がいるが、父親(当時47歳)は地方の仕事で家を空けることが多く、事件当日も不在だった。長男(当時21歳)も仕事で他県に出ていたので、当時同居していたのは、母親と高校生の次男(当時16歳)と若花菜さんの3人だった。家の鍵は、母親と次男、若花菜さんの3人がそれぞれ持っていた。

犯行直後に現場付近から走り去った、中年の男性が住民に目撃されている。事件直後の18時30分頃、被害者宅の斜め後ろにある駐車場から、走り去った軽自動車が目撃されている。運転していたのは、薄手の白いシャツを着た男で、ネクタイはしていなかったという。車種は三菱製ミニカトッポ(1990年-1993年型)で、色は黄色。この車は、同年8月ごろから無断で駐車されており、車の後部ガラスの内側にはビニール製の赤い唇の飾り、後部側面には白い網のアクセサリーがあった。

事件後この車は見られなくなり、所有者は分かっていない。警察は青森県内と岩手県北で登録された同型車と、青森県内を走っていた他県ナンバーの同型車約1,900台のうち約680台を捜査したが手がかりは得られなかった。

犯行は住宅密集地の細い路地を入った被害者の自宅で、短時間のうちに行われた。そのため、当初は「犯人はすぐ逮捕される」と思われていた。青森県警は12万人の捜査員を投入し、重要参考人を含む約600人から事情聴取したが、結局手がかりは得られず、2008年10月27日午前0時、殺人罪の公訴時効を迎えた。



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