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宮城県本吉郡南三陸町夫婦殺害事件(2002年5月)

2002年5月3日午前6時20分頃、宮城県本吉郡南三陸町(旧志津川町)竹川原に住む、佐藤たけ子さん(当時59歳)が自宅1階の勝手口の外で血まみれになって死んでいるのを牛乳配達の男性が見つけた。たけ子さんのそばには電話器本体が転がっており、コードが引きちぎられ、そのコードが首に巻きついていた。死因は窒息死だった。激しく殴られた跡もあった。さらに1階居間では工務店を経営する夫の茂義さん(当時61歳)がソファに座ったまま、血まみれになって死んでいるのも発見された。2人とも首や胸などを数回刺されていた。茂義さんの首には刃物を突きつけられて脅されたときに付いたとみられる浅い傷があり、あごなどにも複数の切り傷があった。

死亡推定時刻は3日午前3時から午前5時までで、死因は失血死とわかった。茂義さんは腹の傷が致命傷。背中に突き抜けるほど深い傷だった。凶器は2人とも同じ刃物で、片刃で先が鋭利な20センチ近いものと推定されたが、発見されていない。 遺体発見時に台所や洗面所の水が流されたままになっていた。犯人が返り血を洗ったものとみられる。

佐藤さん宅の近くは水尻川が流れ、周りはすべて田んぼに囲まれている。家は7年前に夫婦が新築したもので、周辺の民家より大きくて目立っていた。斜面の中腹に建てられ、南東向きの1部を除いてコンクリート製の塀(高さ2から4メートル)や垣根に囲まれていて、外部から1階はほとんど見えない造りになっていた。行政区の境に位置していたため、近所でも他の区の家との交流がなく、また当時は田植え時期で周辺住民が午後8時過ぎに寝てしまっていたため、目撃情報は少なかった。

犯人は塀や垣根で外部からは死角となっている1階北西部の納戸、高さ1.5メートルにある高窓(縦60センチ、横45センチ)のガラスを割り侵入したものと見られている。普段はたけ子さんが使っている草刈り鎌が使われたと見られた。 犯人が破った窓の真下にはベッドがあった。この部屋は茂義さんの母が半年前まで寝起きしていたが、歌津町内の老人ホームに移ってからは一時帰宅に使われる程度で、ほとんど使われていなかった。

この部屋は居間から最も離れたところにあり、警察では犯人はここが空き室であることを知っていたと見られ、家の中の事情にも詳しいものの犯行という見方もある。 納戸から居間に通じる廊下には運動靴の跡が残されており、足跡は迷うことなく茂義さんがいた居間に一直線に通じていた。足跡は1対で単独犯行と見られている。 家の裏手の空き地などから侵入口や室内に残されたものと同じ足跡が見つかっている。

このほか、自宅の外で犯人の遺留品と見られる軍手の片方が見つかった。また犯人が高窓のガラスを割れるときに使ったと見られる草刈り鎌は窓の近くで見つかった。

佐藤さんたちは夫婦2人暮らし。茂義さんは事件の4年前に脳梗塞を患った。事件2か月前に鳴子町のリハビリ施設を退院して車椅子生活となり、10日ほど前から仕事を再開したばかりだった。病気の影響から普段はソファで寝ていた。入院中に妻は自宅まで送迎するなど熱心な看護をしていた。一時は言葉は不自由だった回復した。工務店は近くに住む次男が常務として実質的な経営を担っていた。

室内からは、たけ子さんがいつも貴重品を入れて持ち歩いていた手提げ袋のみがなくなっていた。黒地の柔らかい合成皮革でできており、金色のリボンの模様が全体に描かれているもので、中に入っていた財布ごとなくなっていた。
これまでに捜査対象として浮上した人物は数百人にものぼるが、いまだ直接犯人に結びつく有力な情報は得られていない。

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