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徳島・海上自衛官変死事件(1999年12月)

1999年12月25日、江田島第一術科学校勤務の海上自衛官・三笠睦彦さん(当時33歳)が消息を絶った。

三笠さんはこの日徳島県川島町の実家に帰省中で、交際相手とドライブに出かけていた。石井町にある交際相手の家の近くにある書店の駐車場まで送り届けたあと、消息を絶ったものと思われた。

失踪直後、徳島県警は実家から60キロほど離れた阿南市福井町日の地の路上に放置された三笠さんの車(トヨタのチェイサー・白色)を発見したが、事件とは考えず事故車扱いで実家に連絡したのみであった。

三笠さんの車の天井には鉄パイプで叩かれたような傷が付いていたが、警察の見解は「事故後、レッカーで移動する際に出来た傷」というものだった。しかし、レッカー移動でこのような傷が付くことはまずないとされる。

車は助手席側のフロントガラスに亀裂が入っており、他にも破損している箇所が多数みられた。ドアはロックされておらず、キーは差し込まれたままだった。

2日後の12月27日に三笠さんの遺体が車の事故現場から8キロほどの距離にある福井川河川敷で発見された。現場は三笠さんの実家へ帰宅する方角とは逆方向にあたる場所だった。県警はすぐに事件を自殺と断定、捜査を打ち切った。

三笠さんの遺体が発見された場所は橋梁から4.2m離れており、自殺だとすると橋からジャンプした場合にこれだけ遠くへ飛ぶ可能性は少ない。(立ち幅跳びの世界大会出場選手でもジャンプ距離は3.5メートル程度とされる)

この橋梁は欄干の高さが85センチあるため、事実上助走をつけ、走り幅跳びのように飛ぶことは不可能であったとされる。また飛び降りた橋梁の欄干から三笠さんの指紋は検出されていないが、85センチの欄干の高さから手を使わずに乗り越えることは不可能と思われる。

三笠さんの靴には引きずったような傷が残っており、左の靴底が折れ曲がっていたことも判明。妹の証言で、12月25日に家を出た時にはそのような傷はなかったことが分かっている。このことから、何者かが三笠さんの遺体を運び、遺棄した可能性が考えられる。

徳島大学の司法解剖で、三笠さんの死因は転落前に受けた胸部大動脈の損傷によるものと判明した。警察の当初の発表では、帰宅途中、事故によりエアバッグが作動したため大動脈損傷を生じたとのことだった。

エアバッグが作動するほど損傷した車では事故現場から遺体発見現場に到達できないこと、エアバッグが作動しただけで大動脈損傷という大怪我を負うのかなど、この発表に対しては問題点が多く指摘されている。遺族が依頼した医師の説明により、橋梁から落ちた際、三笠さんは背中からではなく、尻から地面に付いたという見解もある。

現場付近では度々暴走族による暴力行為が目撃されていた。事件発生当日も三笠さんの車とよく似た車を鉄パイプのような棒を振り回して追いかける暴走族の姿や、現場で三笠さんのものと思われる車と共に2台の車が停車していた様子、遺体が見つかった橋の下をのぞく3人の男の姿が目撃されている。

このように自殺とするには不審な点があるにも関わらず県警は捜査を打ち切っており、納得できない遺族の告訴による2度の再捜査でも殺害された疑いがないと判断している。遺族は2004年10月8日、徳島検察審査会に審査を申し立てたが、翌2005年4月20日に不起訴相当との議決が下った。



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