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    「悪魔の詩」訳者殺人事件(1991年7月)

    1991年7月12日、筑波大学助教授の五十嵐一さんが同大学筑波キャンパス人文・社会学系A棟7階のエレベーターホールで刺殺されているのが発見された。

    司法解剖の結果、前日の11日に殺害されたものと断定された。また、現場からO型の血痕や犯人が残したとみられる中国製カンフーシューズの足跡(サイズ27.5cm)が見つかった。五十嵐さんはO型ではないため、この血痕は犯人の血液と思われる。

    五十嵐さんは1990年にサルマン・ラシュディの小説「悪魔の詩」を翻訳している。 「悪魔の詩」は、イギリスでは1988年にブッカー賞最終候補となり、また同年のホワイトブレッド賞小説部門を受賞するなど高い評価を得る一方、現代の出来事や人物に強く関連付けられた内容がムスリム社会では冒涜的であると受けとられ、激しい反発を招いた。

    1989年2月にイランの最高指導者、ルーホッラー・ホメイニーは同書が反イスラム的であるとして、ラシュディや発行に関わった者などに対する死刑宣告を発令していたため、事件直後からイラン政府との関係が取り沙汰されていた。

    また、1998年4月に掲載された週刊文春の記事によると、事件当時、東京入国管理局は筑波大学に短期留学していたバングラデシュ人学生を容疑者としてマークしていたという。この学生は五十嵐さんの遺体発見当日の昼過ぎに成田から帰国しているが、イスラム諸国との関係悪化を恐れる日本政府の意向により、捜査は打ち切られたとしている。

    また捜査中、大学内の五十嵐さんの机の引き出しから、殺害前数週間以内と思われる時期に書いたメモが発見された。これには壇ノ浦の戦いに関する4行詩が日本語およびフランス語で書かれていたが、4行目の「壇ノ浦で殺される」という日本語の段落に対し、フランス語で「階段の裏で殺される」と書かれていた。このため、五十嵐さんは自身に身の危険が迫っていた事を察知していたのではないかとする憶測が生まれた。

    15年後の2006年7月11日、真相が明らかにならないまま殺人罪の公訴時効が成立し未解決事件となった。外国人犯人説が有力なこの事件では、実行犯が国外逃亡したと仮定した場合は公訴時効は成立していないことになるが、警察は証拠品として保管していた被害者の遺品を遺族に返還している。

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